日本人って30歳すぎたあたりから自分のことを「おばさん」「おじさん」呼ばわりしますよね。
おばさん、おじさん=「負け組」みたいな扱いもしません?
小学生のころからずっと不思議だったんですけど、あれ何なんですかね。
今回はこれについて私が思うことを話していきます。
誰もがいつか必ず"おばさん"になるよ?
日本人の大半の10代、20代の人たちは30歳超えた人のことを「ババア」呼ばわりしますけど
あなたたちもいずれその年齢になるからね?って。
自ら自分の首絞めるようなことしてめちゃくちゃ愚かだなと思います。
案の定、若い頃にそうやってBBA呼ばわりしてきた人は自分達が30代になったときに逃げ場がないから
ひとから言われるまえに、自分のことをBBAだのおばあさんだのって呼び始めるじゃないですか。
あれマジでダサい(笑)
というより、年を取ることをそんなふうにしか捉えれない人生ってなんだか気の毒だなと。
いくら若くても人格がペラッペラなら意味ないですし、若さの無駄遣いでしかありません。
もっと感性を養って、美しく生きようぜ?と私は思ってしまいます。
”年をとる”ことに対するイメージを変える
確かに、年を取れば顔にシワが増え、白髪が生え、若いころのように機敏な動きができなくなったりするのでそういうのは嫌だなぁと素直に思います。
でもね、生きるってそういうことじゃないですか?
動物、花や虫、この世に生ける全ての生物は老いていき、いつかは必ず最期の瞬間を迎えます。
なかでも、私たち人間は他の生物には無いあらゆる感情や思考力が与えられ、”生きる”ということを強く実感できる唯一の生命体です。
老いることで人は時の流れ(生)を感じることができます。
だからこそ「今を大切に生きよう」と思うことができるし、そのためにいろんな努力をするんです。
もし永遠の若さと命があったとしたら人は人として生きる価値があるのだろうか、と私は思うのです。
はじめから永遠が約束された人生なら誰もそんなものに価値を感じなくなるでしょうからね。
そう考えると、私たち人間にとって生きる上で「老い」という現象は、きっとなくてはならないものなんだろうと感じるのです。
年をとるってすごく尊い
私は現在27歳でシワや白髪、身体の衰えなどはまだ実感していませんが、60歳近い母親の姿を見てこう思います。
年をとるってなんて尊いのだろうと。
母が生まれてから57年、私をこの世に産み落としてから27年、それまでには数え切れないほどの人生経験を積み重ね、乗り越え今があるのです。
顔のしわも、白髪も、そうやって母が一生懸命に生きてきた証だと思うと私は年齢を重ねることに美しさを感じます。
ここで私が言いたいのは、加齢は抗うことのできない自然の摂理なのだからそこに対して嫌悪感を抱いても仕方がないということ。
であれば、「どのように歳を重ねるか」ということにフォーカスして生きることが重要なのではないかと思っています。
歳をとることを美しいと思える人生を送る
「美しい歳のとり方」という言葉がありますが、それは外見だけを指す言葉ではありませんよね。
その人の持つ人格や所作、雰囲気などその全てから相手に抱く印象だと思います。
これは例えるなら、同じ顔にできたシワでも怒りや憎悪の感情を抱きながら生きてきてついたものと、
人を愛し、人から愛され、多くの経験を積み重ねてついたものとでは意味合いが全然違うということです。
・・まあ、こんなこと言ってますが、実際自分自身白髪が生えてき始めて、顔もたるみ、だんだんと老化を感じるようになったときには
どんな気持ちになるんだろう、と少しばかり不安におもいますが。
ただ一つ言えるのは、自分についたシワをも愛しいと思えるような歳の取り方をしたい、ということですかね。
まとめ
今回は「歳をとる」ことに対してマイナスなイメージを多く持つ日本人に対して思うことを話しました。
海外の人からすると、こういう部分が「日本人は感性が乏しい」と言われる所以なのかなと思います。
しかし、私個人の意見としては昭和から以前の日本人はものすごく感性豊かで風情ある人で溢れていたのだと感じています。
日本人はただだそれを表現することが上手ではないだけで。
私がこう感じる理由は、例えば、歌ひとつとっても現代と昔とでは歌詞の重みや表現の豊かさが全然違ったり、
言葉遣いひとつにしても「歳をとる」or「歳を重ねる」で、もたらす意味合いが違うことを大切にしながら生きてきた時代だと感じるからです。
そんな私が今思うのは、今後誕生するかもしれない自分のこどもにはこういう感覚を大事にしながら生きていってほしい、ってことですかね。
なので、いつかのその日のために私も美しい生き方をしていかなくては。